江戸時代は寛政六年(十一代徳川家斉の頃)、今から二百年前に湊屋村次郎は生まれました。彼は物心ついた頃から仏壇造りの職人になるべく修行を重ね、晩年までには、木地・金具・彫刻・漆塗り・金箔押しと、すべての工程を修得し、唯一、一人で仏壇を造ることができる職人として名声を高めました。
彼の仏壇造りに対するあく無き追求の思いはそれだけではとどまらず、奥州平泉、鎌倉、尾張、京の地場産業の見聞により、自らの仏壇造りの技法研究に情熱を燃やしたといわれています。その結果、平泉の螺鈿細工、鎌倉彫りを応用した堆黒、京の寺院の朱塗りなどの技法を巧みに採り入れ、極めて精緻ながら、堅牢、かつ荘厳、華麗な美川仏壇を完成させ、その名を後世に残しました。
彼の数々の技法の中でも特に「堆黒」は伝統文化的希少価値が非常に高く、全国の仏壇産地でもその例はなく、唯一、美川仏壇の職人達によって頑に守り続けられています。
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